コードギアス 復活のルルーシュをみた。
総集編映画3部作を経て、満を持し公開した復活のルルーシュ。
見た感想を率直に述べると、10年前の妄想が形になったということになるだろうか。
この文章を書くにあたってコードギアスの魅力はなんだったのかを考えてみると、
①権謀術数やギアスを用い、寡兵で持って大群を蹴散らす楽しさ
②ルルーシュを始めとした魅力的なキャラクターが織りなすストーリー
この2つだったんじゃないかと思う。
②を欠いた亡国のアキトはああいった評価に落ち着いてしまったことを思うと、この仮設は結構いい線だと思う。
まあ亡国のアキトに関しては、コードギアスの中でも特にとっつきにくいCの世界やギアスそのものに触れてしまったこともあるかもしれない。
話を戻すと、大国ブリタニア亡き後の世界では相当無理な設定で①を実現せねばならない。復活のルルーシュではその無理さ加減が見ていて透けてしまった。
だから、見終わったあと『僕が10年待ち望んだギアスはこうなのか』という印象を持ってしまったのだ。
ただ、今作はそれ以上に②の要素であるルルーシュの物語の終わりを描きたかったのだろう。
結局コードギアス=ルルーシュのイメージがある限り、あの世界の究極的な謎であるCの世界やコード、ギアスを語れないということか。
初めに10年前の妄想が形になったというのは
ゼロ・レクイエムを経て、V.V.のコードを継承したルルーシュとC.C.が仲良く世界を回るという妄想であり、そんな設定のSSを当時は読み漁ったものである。
そういうファンディスク的な見方をすれば、今作は傑作であり、ルルーシュの闘いの終焉を見届けられた満足感を得られるようになる。
そう思い始めると、敵の女王と弟の関係性がルルーシュとナナリーに重なり、なるほどと納得がいく。
構成を考えないでつらつらと書いてしまった。
オチがない。
いろいろ書いたけど、C.C.が可愛かった。そんなことで僕は幸せになれる。
ところで、コード継承者は自分にとってマイナスでないと思い込むことでなんちゃらみたいな設定のSSのタイトルだれか知りませんか。
また読みたい。
存在を忘れていたわけではない
存在を忘れていました。
YDTMは開店休業中で、私が勝手にクランのアイコンを変えたりしていてネタもなかったししょうがない。
氷室玲愛ちゃんかわいい。応援クランです。
さて、最近良くやっていることといえば、外国人クランの集団戦に入ってみるということ。別に勝ちたいというわけではなくて、こいつらどんなことを考えているんだろうという単純な疑問から。
日本人クランだとあまり聞かないけれど、外国人のクランにはWN8が400しかないIS-7とかが普通にいる。
でもこれって別に悪いことじゃ全然なくて、スタッツの上位層でなくとも集団戦の門戸は開かれているという意味で、素晴らしいことだ。
あと、いいヤツが多い。戦闘に参加したあとは勝敗にかかわらず、チャットをくれるし、多少キャリーした試合があれば手放しで喜んで褒めてくれる。
残念ながら僕はテキストベースで簡単なコミュニケーションがとれる程度の英語力しかないので、ほぼ聞き専だが、そんなプレイヤーを称賛しともに喜べる人が、諸々のモチベーションにどれだけ関わるかを理解できた。
世間ではクランの解体とかクーデターやらがあるようだけど、勝つ・勝ちたいということが至上命題だとして、そこに至るまでのステップの踏み方は考える必要があるのかもしれないね。
お題消化 WUGはまゆしぃが好きです
質問箱で匿名でお題を募っているとはいえ、内容によっては個人が特定できてしまうのはご愛嬌なのだろうか。
さて、
WUGか。
...
WUGかぁ。
縁あって宮城に住んでいるけれど、東京から宮城へといく新幹線にWUGの特集が掲載された雑誌を見つけたときには思わず笑ってしまう。
あとWUGってつぶやくと某人にTwitterで絡まれる
私のなかではWUGはこんな印象。
いくらか好きな曲はあるし、キャラデザだって好きなのにいまいち入りきれない部分があるんだよね。
アニメの作画のせいなのか。
ちなみに、まゆしぃって誰やねんとなってぐぐったところ声優さんなのね。
吉岡茉祐さん。
僕は松岡茉優さんのほうが好きですね。
お題消化 VdA回顧録
AVAというゲームを知っているだろうか。
正確なタイトルはAlliance of Valiant Armsで、2008年にリリースされた韓国産基本プレイ無料のオンラインFPSである。
当時を振り返れば、SuddenAttackやCrossfire、PapermanにSpecialForceなど基本プレイ無料のFPSが流行していた時期だった。
これらはCounterStrikeというValveのゲームから基本システムの着想を得た、似たような射撃感をもつゲームであったが、敷居の低さなどから非常に人気だった。
しかし、グラフィックという面でいえばCall of Duty4などの最先端をいくゲームからは完全に置き去りにされていた。
そんななかに現れた美麗なグラフィックを持つAVAは注目度も高く、鳴り物入りでスタートしたのだ。
お題でもあるVdAとは
VIP de AVAの略であり、これまた当時はやっていたVIPスレでVIPPERを集めAVAをやるというものである。
VIPネトゲスレは現在こそ絶滅気味だが、当時はMMOやFPSなどジャンルを問わず大量に存在していた。
今だと何に置き換わったのだろうか。
Twitterのハッシュタグで募集をかける得体の知れない気持ち悪いものよりは遥かに現実的だと思うけれど...
個人の特定をするかとか誰が募集をしているかとかがTwitterだと本筋になってしまっていて、ゲームを共に遊ぶということに重きを置かなくなったのだろうかね。
なにはともあれ、昔はこんなコミュニティがあったということだ。
ただ、完全に知らない人であるのに文化の基盤というか根底の価値観のようなものを共有していたから、なんというか異世界人とコミュニケーションを取っていると感じるようなことは少なかったかもしれない。
今だと本当に何を考えているのかわからない人がいる。
いくら同一のゲームを遊びたいと考えた人だって、何もかも違う人とは相容れない。
とここまで書いてみたが、いくらお題を貰ったとはいえあまりの自分語りに気分が悪くなってきた。
とりあえずここまで。
続きが読みたいならまたお題ください。
日記 スタッツは悪
いろいろあってWoTをやる時間が増えているけれど、復帰前と復帰後では決定的に異なる点がある。
それはスタッツを気にしなくなったということなんだけど、これがすこぶる健康に良い。
スタッツを気にしなくなった理由はたぶん2つで
①そもそも真面目に取り組むモチベーションがない
②スタッツで虚飾する必要がない
だと思っている。
①に関してはどのゲームでもある話だから特に触れないんだけど、②はWoTのコミュニティが抱える種々の問題の根幹かと思うので持論を。
前の記事にも書いたかもしれないんだけど、WoTの集団戦ってアクティブクランメンバーの量(出力)が大事になるんだけど、質が伴わないと話にならない。
出力だけあるってのは少数精鋭よりもクランとしての地力は強いんだけど、やっているプレイヤーのモチベーションを犠牲にしている場合が多いと思う。運営含めてね。
だから、1プレイヤーとしては心理的に『私は質の悪い残念なプレイヤーではありませんよー』と喧伝する必要があって、それがスタッツになるんだよね。きっと。
というかそうならなくなったら向上心を失っているわけで、終わりを迎えているのかもしれないね。自慢するしないはおいておいたとしても。
いろいろ見てみると、ランダムと集団戦の動きが違うとか、WN8は関係ないとか見るけど、経験的にWN8が高い人のほうが集団戦に順応するのが早いと思う。
まあ当たり前で、ゲームに対する理解度と直結しているからなんだけれど。(味方を犠牲にすることを知ったとかそういう闇の部分の話ではなく。)
とこういう前提があってみんなスタッツを気にする。
なんなら感覚的な部分になるんだけど、自分よりもスタッツが下の人の意見は聞かないけど、上の人の意見には付和雷同する人もいる。
闇。
話がそれた。
まあいい。
今の環境は別にスタッツが出てようがでてまいが、関係ないのでなにも気にしない。
それだけのこと。老害が集っただけだし、それはそうなんだけどね。
前に使った言い方をすれば、新しい人がこないから、『私は残念なプレイヤーではありませんよー』と喧伝する必要がないってこと。
さらに言えば老害がスタッツで争い合うのめちゃくちゃ醜い。
ワシの若い頃はなぁといっているジジイにはならないようにしような。